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【アーティスト】ゴードン・マッタ=クラークとは何者なのか?

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 ゴードン・マッタ=クラーク(Gordon Matta-Clark)

ゴードン・マッタ=クラークをご存知でしょうか。日本との接点が希薄で関わりの少ないアーティストなので、多くの方は名前さえも聞き覚えのない存在かも知れません。今回はそんなゴードン・マッタ=クラークを少しだけ紐解いてみたいと思います。

 

ゴードン・マッタ=クラーク(Gordon Matta-Clark)

1943年6月22日〜1978年8月27日 ※膵臓がんのため35歳で逝去

画家である父ロベルト・マッタと母アン・クラークの元にニューヨークで生まれる。双子で兄はジョン・セバスチャン(1976年にゴードン・マッタ=クラークのスタジオ窓から転落死)。

ゴードン・マッタ=クラークは、1970年代のニューヨークを中心に活躍したアーティストです。35歳で亡くなるまで、作家としての活動期間は10年にも満たないほど短命で終わった人生でした。

ゴードン・マッタ=クラーク Photo: Cosmos Andrew Sarchiapone

しかし、わずか10年とはいえ活動の範囲は広く、建築、インスタレーション、彫刻、映像、写真、ドローイング,ストリートカルチャーからレストラン運営まで、多くを手を広げるマルチアーティストでした。

しかし、ゴードンの活動や作品の多くは一時的にしか存在しない形態であったためアーカイブ(保存)されているものは多くないのです。

制作活動

1970年代のニューヨークを舞台に活動したゴードン・マッタ=クラークは「外界から閉ざされたミュージアム」という存在に懐疑的でした。それは、「美術館」という権威や「展覧会」と言う制度に対して風穴を開けようという反体制的な姿勢にも見えます。

ゴードン・マッタ=クラークは、都市が再開発を進める中で人間の根源である住居に着目し、「家を切断」という奇抜な表現方法で人々の価値観を問いました。

《Splitting(分裂)》1974年 ゴードン・マッタ=クラーク財団&デイヴィッド・ツヴィ ルナー(ニューヨーク)蔵

「建物を切断する」という行動や、木の上にハンモックを設置して暮らそうとするコミカルな取組みなど、ゴードン・マッタ=クラークの表現は衆目を集める「リアルの場所」で展開されていました。

場に関わって行くような展示を意識したのは、「FOOD」というレストランの運営に関わったことでも確認することが出来ます。

レストラン「フード」の前で、ゴードン・マッタ=クラーク、キャロル・グッデン(当時のゴードン彼女)、ティナ・ジルアール 1971 年 個人蔵 Photo: Richard Landry

レストラン「FOOD」の店先では豚の丸焼きなどのパフォーマンスによって客引きに繋がるようなアクションも行っていたそうです。人々の興味関心を引き付ける能力は、様々な場面で実践していることからも評価できることでしょう。

ゴードン・マッタ=クラーク(中央左)とジェイン・クロウフォードの結婚を祝う友人たちとともに 1978年

ゴードンがリアルな場を意識したのは、活動のプロセスによって「コミュニティ」と言うものが形成されることに着目していたのかも知れません。「FOOD」の店内では通常営業時以外はアーティストのたまり場のような場所として機能していたそうです。

ゴードンの口癖

ゴードン・マッタ=クラーク展のタイミングで来日した未亡人ジェイン・クロウフォードの語ったエピソードを紹介したいと思います。

ゴードン・マッタ=クラーク展(2018年6月)時に来日した未亡人「ジェイン・クロウフォード」

「ゴードン・マッタ=クラークは問題を見たときに『自分が提案する解決策はこれなんだけど、君たちの方がもっと素晴らしいアイディアを出してくれるはずだよ』と口癖のように言っていました」。

ゴードンは問題提起をすることに意味を見出していたのかも知れません。

ソーシャル・プラクティス・アーティスト

ジェイン・クロウフォード夫人より「ソーシャル・プラクティスという概念が存在しない時からゴードンはそれを実践していたのです」と言うコメントを伺いました。

社会と関わる芸術のアプローチは、参加型アート、ソーシャリー・エンゲイジド・アート、 ソーシャル・プラクティスなど様々な名称で呼ばれていますが、ゴードンは世界で最も早く実践していた「ソーシャル・プラクティス・アーティスト」なのかも知れません。

「You Could do a better!〜君ならぼくよりもっと上手く出来るよ」

口癖のように繰り返されたメッセージは、ゴードンが現代の我々に残した伝言なのかも知れません。

「グリーン通り112番地で『壁=紙』を展示するゴードン・マッタ=クラーク」1972年

略年譜

1943年

・6月22日、ニューヨークで双子の兄セバスチャンとともに生まれる。父は世界的なシュルレアリスム画家ロベルト・マッタ、母は同じく画家のアン・クラーク。間もなく両親は離別、母、兄とともにニューヨーク、チリ、ヨーロッパ各地で幼少期を過ごす。

1962~68年

・コーネル大学で建築、パリのソルボンヌ大学で文学を学ぶ。

1969年

・ニューヨークに転居。

食べ物や料理をテーマにインスタレーションやパフォーマンスの発表を始める。 以後、ソーホーのアーティスト・コミュニティーにおける中心人物となっていく。

1971年

・友人のアーティストたちと共同でレストラン「フード」を設立[~1973年]

・メキシコ、ペルーを経由して、父マッタの故郷チリを訪れる。

1972年

・マンハッタン、ブロンクス、ブルックリン各所の建物で、ビルディング・カット《ブロンクス・フロアーズ》を制作。

1973年
・「アナーキテクチャー・グループ」を結成し、「フード」などでミーティングを重ねる。

・ニューヨークで注目され始めたグラフィティをテーマに《グラフィティ・フォトグリフス》の制作を開始。

1974年

・ニューヨーク市が競売にかけた狭小な土地を購入し、作品《リアリティ・プロパティーズ:フェイク・エステイツ》として発表。

・ニュージャージー州イングルウッドにあった一軒家を切断するビルディング・カット《スプリッティング》を制作。

・この年以降、ニューヨークのほか欧米各地で数多くの展覧会に出品、またビルディング・カット、パフォーマンスなどを行う。

1975年
・ハドソン川沿い52番埠頭の倉庫にて、ビルディング・カット《日の終わり》を制作。無断で行ったためニューヨーク市に訴追される。

・「パリ・ビエンナーレ 1975」に参加。ポンピドゥー・センター建設のため取り壊し予定の17世紀建築に、円錐形の穴を穿つビルディング・カット《円錐の交差》を制作。

1976年

・兄のセバスチャンがマッタ=クラークのスタジオの窓から転落し死去。

1977年
・「ドクメンタ6」(カッセル)に参加、工場の煙突を利用したインスタレーション《ヤコブの梯子》を発表。

・アントワープにてビルディング・カット《オフィス・バロック》を制作。完成後、美術館として保存しようという運動にも関わらず、建物は取り壊された。

1978年

・シカゴ現代美術館のオファーを受け、美術館の別館となる予定だった建物でビルディング・カット《サーカス》を制作。

・5月、ジェイン・クロウフォードと結婚。

・8月26日、膵臓がんのため死去(享年35歳)。

アジア初の個展開催

ゴードン・マッタ=クラークのアジア初個展が2018年東京で開催されました。下記にレポートを掲載しております。よろしければ参照下さい。

 

http://kobalog.jp/burart/gordon-matta-clark-2018/

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